交通安全環境研究所 National Traffic Safety and Environment Laboratory

035 情報の活かし方 (コラムNo.29「勝敗を分けたもの」鈴木研究員のコラムを読んで)
2012年12月05日
成澤 和幸(自動車基準認証国際調和技術支援室長)

1.人に好かれれば良い情報が得られる?
 「勝敗を分けたもの」をとても面白く読ませて頂いた。元来、判官(ほうがん)びいきの私は、石田三成の評価を妥当なものだと感じる。だいたい後世に残すための史書は勝った方が書くものであるから、勝者を聖人化する一方、敗者をことのほか貶(おとし)めるきらいがある。「勝てば官軍」で、勝った方が優秀で人格の優れた人物として描かれるのが常である。
 だから、関ヶ原の戦いで負けた石田三成の評価も常々もっと高くて良いと思っていた。
 「勝敗を分けたもの」は、石田三成は嫌われていたので情報が入ってこなかったのに比べ、家康は三成のように毛嫌いされることはなかったので、その差が情報力の差になった。これが結果的に勝敗を決定する最も大きな要因であった、と言う論じ方である。
 石田三成は怜悧で官僚的な男で人から遠ざけられ、一方、家康は人情の機微に通じた親分肌の人間で人に好かれていた、この人間性の差が最終的に勝敗を分けた、という見方を「情報収集力」の観点から説明している。
 ただ、両人の人間性には違った見方もあり、家康は、油断のならないタヌキ親父と言う印象がある一方、石田三成は領民や臣下に慕われる人格者の面を持っていたとも言われる。
 石田三成は関ヶ原の戦いの当初、岐阜の大垣城に籠城する作戦を取ろうとしたが、家康が迂回してしまった。この時、西軍の島津義弘や宇喜多秀家は、家康の陣地への夜襲を提案するが、三成はこれを嫌い、正々堂々の決戦場として関ヶ原を選んだ、という説がある。いわゆる「宋襄の仁」である。これが事実であり、このような作戦の立案が可能だったのであれば、それなりの情報は三成側に入っていたと思われる。
 一体、人に好かれるからと言って、自分に都合が良い情報のみが入ってくるとは限らない。地位が高くなって人に好かれれば、何かの利益を得ることを目的に怪しげな情報を持った人間が多数近寄ってくる。その中で信頼できる情報を選び出すのはそれなりの才能、労力がいる。
 情報力といった場合、情報の収集力のみをあらわす訳ではない。情報が多くとも質が悪ければ余り役に立たない。間違った情報に踊らされる位なら無い方がまし、という考え方もあるだろう。仮に質の良い情報が得られてもそれだけで充分ではない。情報は役立てねば意味がない。「情報の活かし方」も情報力の重要な要素であると思う。



2.情報の活かし方には二つある
 ここで、三成と家康とでは「情報の活かし方」について基本的に認識が違っていた、あるいは重要度の力点の置き方が違っていたのではないか、という、一つの仮説を立ててみたい。
 一般的に、情報を活かすというのは、多くの情報を集め、それを総合し、解析し、有益なものに変え、他人に「与える」ことにある、と考えがちである。しかし、得られた情報を他に「漏らさない」ことも実は有益な情報の活かし方である、ことに気がつきにくい。1)
 西軍の大将として、毛利輝元を担ぎ出すという壮大な正攻法を仕掛けるにしても、数多くの大名を西軍にくみさせるにしても、単に大義名分だけでは無く、様々な情報に裏打ちされた、説得力ある論理展開がなければ、誰も聞く耳を持たない。
 石田三成は多くの情報を集め、それを総合し、解析し、有益なものに変え、人に「与える」ことにおいて、才能が豊かな、抜きんでた戦略家であったのではないか。
 一方、家康は、秀吉の死後、約束を無視して、多くの大名家と姻戚関係を結んだ。これは血縁者を人質に出し、結束を固めるため、と考えるのが一般的である。しかし、人質を殺して寝返ることなど、戦国時代には珍しくない。家康は姻戚関係を結ぶことにより、相手の武将の様々な情報を得ることに腐心したのではないか。そして得られた情報を他に「漏らさない」ことで、相手との関係を築こうとしたのではないかと私は考える。
 関ヶ原の戦いでは、多くの武将と内通することによって寝返りを誘い、最終的な勝利を得た。家康は人間関係において他に情報を「漏らさない」という信頼感を育て、これを活用したと推測する。
 情報の活かし方として、「与える」だけでなく「漏らさない」活用の仕方に長けていた家康に軍配が挙がったのでは、と考えるのである。



3.二つの情報の活かし方-ビジネスモデル-
 情報の活かし方に「与える」と「漏らさない」の二つがあるとして、これを組織として用い、ビジネスに活用するにはどうしたらよいだろうか。
 情報化社会と言われる現代には様々な情報が新聞、雑誌のマスメディア、あるいはインターネットによる個人伝達により飛び交っている。情報過多社会と言っても良い。このような状況では、「与える」ビジネスは現代において既に花形産業であり、コンサル会社、あるいは調査機関と言われるものがそれであろう。研究も広い意味では入るかも知れない。
 他方、「漏らさない」ビジネスについては、著名な漢文学者白川静氏の指摘がある。中国の戦国時代に活躍した墨家集団がこれにあたると言う。墨家は墨子に率いられた技術者集団と言われている。築城、兵器技術に優れ、特に守城に強かったので墨守の言葉がある。
 中国の戦国時代、対立する国々が防御の堅い城を築くには、墨家の優れた築城技術が必要とされた。そこで、墨家は中立的な存在として、どの国の城も築いたが、決して他国にはその築城の秘密を漏らさなかった、という。
 優れた専門家集団を組織し、無くてはならない中立的な立場に立てれば、墨家のように情報を「漏らさない」ビジネスが成立する。現代で成功している例を直ぐに思い浮かばないが、たとえば、生産管理システムを評価するISO9001などの認証を行う機関、欧州における自動車基準認証のための試験機関がこれにあたるのであろうか。
 このように考えると、研究部署と自動車審査部や鉄道認証室を持つ交通研は、現代の情報化社会において、相反すると思える、情報を「与える」ビジネスと「漏らさない」ビジネスを一つの組織でともにこなしていることになる。これをより洗練した形で両立できるようにすれば、三成と家康の長所を兼ね備えた将来性のある組織になるのでは、と思うのですが如何でしょうか。


参考文献: 1)内田樹著 『街場のアメリカ論』(文春文庫)


当サイト内の署名記事は、執筆者個人の責任で発表するものであり、交通安全環境研究所としての見解を示すものではありません。なお、記載の肩書は掲載当時のものです。また、当サイトのコンテンツを転載される場合は、事前にご連絡をお願い致します。

企画室(kikaku@ntsel.go.jp