交通安全環境研究所 National Traffic Safety and Environment Laboratory

031 公正中立な第三者の目  -ドイツ生活から認証について考える-
2012年03月09日
塚田 由紀 (自動車安全研究領域)

*2011年1月よりドイツに派遣され研究に従事しております。

今週、ドイツのテレビや新聞では、東日本大震災に関する特集が盛んに組まれています。原子力発電所の問題を含め、世界中で次のステップを模索しています。
私はすでにドイツに滞在しており、当時の状況を目の当たりにしなかったのですが、大震災から一年を迎える今でも大きな痛手を負った日本の皆様に、お見舞いを申し上げたいと思います。
微力ながらドイツからの支援の輪に参加しています。

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“Das ist kaputt!”



ドイツに来て、7歳の息子が3番目くらいに覚えた言葉です。日本語にすると「これ壊れている!」。(因みに、一番目は”scheisse!”。ここでは日本語訳を書けませんが)ドイツ生活で驚いたことの一つは、公共の物でも個人の物でも、いろんな物が壊れているのです。そして、その壊れた物の中で、それほど苦情を訴えずに(私がドイツ語が分からないからかもしれませんが)人々が生活しています。それでも、やがてきちんと修理されるところは、“ドイツだから”なのかもしれません。

いくつか写真を撮ったのでご紹介します。

ドイツ鉄道DBの特急ICEの車内、「トイレが壊れている」という表示です。この表示は、あらかじめ車両に備えられています。つまり、車両を設計したときから「壊れる」ことを想定してこのサインが作られていることになります。この時は、この表示が有効活用されていて、トイレが使えませんでした。

フランクフルト空港の特急列車用の駅で、エスカレータが壊れていました。皆荷物を手で持って階段を上がっています。実は、ちょうど一か月前にここに来たときも同じエスカレータが壊れていました。多くの人が”scheisse!”とののしったことでしょう。

路面電車の車内。チケットに日時を刻印する機械が「利用不可能」と表示されています。チケットに刻印がないと無賃乗車とみなされ、罰金が課せられます。「利用不可能」は即ち「壊れている」とは言えませんが、こんなに重要な機械すら使えないまま電車が走っているのです。

私のアパートのエレベータが2か月間壊れていました。私の部屋は6階です。「ご理解ありがとうございます」と言われても・・・いい運動にはなりました。

この他、路面電車のドアが壊れて開かないことも、何度も経験しました。電車に乗るときは、自分でドアについているボタンを押して、ドアを開けなくてはいけません。ボタンを押しても開かない場合は、隣のドアへ行って乗ります。もちろん、壊れたドアには使用できない旨の張り紙がある場合も多いのですが、そもそも私には壊れたドアの車両が走っていること自体が、驚きでした。


最初は壊れているものを見つけると、珍しい気持ちが先だって「キャ~壊れている(ウキウキ)」だったのが、数か月後には「また壊れている!(怒)」に変わったものの、次第に「あ~ら、また壊れているのね(平然)」に変わり、一年もたつとすっかりドイツの生活に馴染むことができました。


とはいえ、自動車等の認証に係る交通研職員として、ここで話を止めるわけにはいきません。ご紹介したように、ドイツには壊れているものが沢山存在し、人々の中に「形ある物は壊れる」という認識があるからこそ、製品の安全性や品質などの基準を整備し、管理・評価しようとする認証制度が生まれ、定着したのではないかという気がするのです。欧州では、製造メーカーだけでなく、公正中立な立場をもつ第三者、例えば認証機関も一緒になって形ある物の安全性を確認する必要があるし、それは自然なことと受け入れられているように思います。


もちろん、その他にもドイツには認証システムが受け入れられる土壌があるなと感じることがあります。欧州は多くの国が隣接し、国境を越えて人もビジネスも行き来しています。国境を超えると言語が違うので、誤解を避けるためには契約書が必須となり、第三者が介入して契約書を整備したり、技術については認証制度を活用する方が双方にメリットがあるように思います。また、チップに代表されるような“見えないもの”にお金を支払う文化も、認証制度を受け入れやすくしていると思います。認証のように表立って見えてこないものに対しても、価値があればビジネスとして成り立ち、支払いが発生することを受け留めやすいのだと思います。


もう一つ、認証ではありませんが、第三者による製品評価が生活に根ざした例として、ドイツには “ÖCO TEST”という雑誌があり、環境に配慮しているかという観点を中心に様々な日常品を徹底調査し、4段階の評価を与え、紙面で紹介しています。「非常に良い(sehr gut)」または「良い(gut)」と評価された商品は、パッケージにそのマークを付けているので、消費者にとっては商品を購入する際に参考にすることができます。周りのドイツ人に聞いてみると、多くの主婦は“sehr gut”と評価された商品を選んで買っているそうで、この評価結果がその商品の購買競争力を高めていることが分かります。(学生たちは、値段重視と言っていましたが)ÖCO TESTの評価は、毎月発行する雑誌の収益で運営されているので、消費者が評価費用を支払っていることになります。もちろん、“sehr gut”のマークが購買競争力を高めることはメーカーにも認識されているので、メーカー側から商品のÖCO TESTを依頼することもあるようです。“ÖCO TEST” は日用品を対象としていますが、その他機械類や保険などについても同じシステムで評価をしている”Stiftung Warentest”という雑誌等もあり、高い評価を受けた商品にはそのマークが示してあります。


ドイツ生活の中で、私も“ÖCO TEST”マークの存在を認識する出来事がありました。主婦としての私は、考えるのが面倒なので棚の中で一番高いものを買う傾向があり、台所用のビニール手袋は、ドイツのお店で一番高かったもの(といっても2ユーロくらい)を使っていました。ところが、驚くほどすぐに穴が開きました。外国製品は質が悪いのだろうと思いつつ4・5回同じ手袋を買ったと思うのですが、ある日お店で二番目に安い(1ユーロくらい)手袋に”sehr gut”のマークがついていて、「安いのに評価が高い?」と不思議に思いながらその手袋を買いました。手を入れた瞬間に「なんだか良さそう」という感じがして(妄想かもしれませんが)、穴も開かずに比較的長い間使うことができました。ビニール手袋の“ÖCO TEST”の評価項目は何なのか全く知りませんが、”sehr gut”と評価されたこの手袋が以前使っていたものより良かったことは明確で、次回も同じものを買うことにしました。この出来事以来、”sehr gut”のマークがついた商品が沢山あることに気づき、”sehr gut”商品があれば、買ってみようかという気になります。私の家の中を見渡すと、調味料やバター、子供の歯磨き粉などについています。

我家で使っている子供用の歯磨

どこのスーパーへ行ってもバターの種類は豊富なのですが、この商品だけ、sehr gutのマークがついています。この商品にはStiftung Warentestでも評価されているというマークもあります。


一般の人にも分かりやすい第三者評価が身近にあるので、全ての製品に対する第三者評価の価値、そして公共交通に係るような高度な安全性を要するものに対する認証の価値や意味は受け入れられやすのだろうと思います。そしてそれが、ビジネスとして成り立つほどのお金が動くのだということも受け入れられています。日本では、製品が壊れれば、製造メーカーの人が飛んで来て修理する、または壊れる前に交換することを美徳として成長してきました。また、その費用も明確ではないような文化には、評価であれ認証であれ第三者の介入はむしろ余計なコストを生むだけと考えられかねません。

しかし、私がたった1ユーロの手袋で経験したように、誰もが納得し感じられる適切な評価がおこなわれるのであれば、人々は評価の結果が知りたくなることでしょう。誰もが公正中立な第三者の目を必用としてくれます。自動車技術の基準作りに関しては、安全という観点を重視しているので、商品としての快適性はあまり考慮していませんが、自動車の場合は“良い”すなわち“安全”と感じられるような基準作りこそが、認証システムの根幹なのかもしれません。そして、これが私の仕事なのだと思うと、誇らしい気持ちになったりしています。


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