交通安全環境研究所 National Traffic Safety and Environment Laboratory

027 舞台裏の心配事
2011年08月31日
高木 俊介(自動車審査部)

 考えてみれば自動車の衝突関係の仕事に5年ばかり関わってきたので、そのことについて書こうと思う。衝突試験は、昨年「事業仕分け」で少し話に上がり、自動車アセスメントで当研究所を少し有名にさせた関係である。ところで、僕の実家はパン屋であり、「小麦の値段が上がった」、「雨が降りすぎてお客さんが少ない」など、毎日心配事が絶えない。そして衝突試験にも心配事が絶えないのだ。

 僕は自動車審査部という部署には約2年半在籍していて、「道路運送車両法」という法律に書かれている基準の確認や試験に関する業務に携わっている。簡単に言うと、新しいモデルの自動車や仕様が変更された自動車に対して、安全性の確認や排気ガスの測定などの様々な試験を行い、基準に適合しているかどうかを確認している。

 その試験の1つに「衝突試験」があり、ダミーを載せた試験車をコンクリート製のバリアなどに衝突させ、乗員の保護性能を評価している。試験では、衝突時にダミー※が受ける力が一か所でも基準値を超えてしまうと、不合格と判断される。不合格となった場合には、設計の見直しなどの対策を講じなければならないし、対策を講じた後に再度試験を実施しなければならない。また、販売スケジュールにも影響を及ぼし、最悪の場合は、沢山のお金をかけて開発された車であっても販売が出来なくなる可能性もある。また、例えば試験速度が条件に対して不足するなど、実施条件が整わない試験となった場合も、再試験を実施することになる。

 試験で使用する試験車は、量産された車ではないため、その制作費は量産車とは桁が違うし、試験を実施するための準備・作業などの多くの労力がかかっていることからも、再試験になるような事態は絶対に避けなければならないのだ。

 このような性格を持つ試験であるため、試験を始める発射ボタンを押すときにはとてもプレッシャーがかかる。絶えず面白くない冗談を言っている僕でも、自分に大丈夫、大丈夫と言い聞かせ、ボタンを押す。ボタンを押せば、試験車はバリアに向かって加速していく。衝突するまで20秒あまり、僕は発射ボタンがある2階の制御室から加速する車を見下ろし、車が蛇行して運転されていないか、衝突するポイントがずれてないかなどを考え、不安になる。だから、いつも試験が上手くいくことを祈りながら、時を過ごすことになる。

 これまでに多くの衝突試験を経験してきたが、その中で僕が一番印象に残る試験に、当研究所の自動車安全研究領域と合同で行った側面衝突試験がある。そのときにいた試験チームのリーダーの様子がとても印象に残っている。

 試験準備があらかた終わった頃、車に手を置き、作業状況を確認するリーダーの姿があった。自動車は4000Wのライト36灯に照らされていて、その隣には小柄で青いつなぎに白い手袋をしたリーダーがいる。昼間の試験であっても、それだけ強い光の円の中に彼と車が一台あると、周りの空間と隔絶され、さながらミュージカルでスポットライトに照らされながらソロを歌っている人のように見える。光の中はパンがコンガリ焼けるくらい暑いのに彼は汗をかかず、車の中を観察していた。ダミーと衝突したデータを記録する機械をつなげている直径40 mmにもなるような太い線の配置や車内にセットしたカメラが動いていることなどを確認していたのだろう。車から手は離さずゆっくり動きだし、ボンネットに触り、トランクの中の計測器を確認しているのを、僕は制御室から見ていた。

 静かな空気の中、急に彼から手を振られた。「OK,それでは始めましょう」と。手元にあるマイクのスイッチを入れ、「カメラのアーム(待機)状態を確認してください。」と伝えた。車両やダミーを外側から撮影し、エアバックの展開やダミーの挙動を確認するためのカメラで、1秒間に1000枚から2000枚の撮影を行う。僕は自分がいる制御室にある天井カメラの撮影モードを確認し、地上にある3方向のカメラの担当からも手で作った大きなOKサインの丸印をもらった。光の中の彼もまたそれを目で確認をしていた。

 マイクを使い「カメラの確認ありがとうございます。それでは車両の最終チェックお願いします。」と伝えると、衝突させる台車側の部屋にいる人からはカメラを通じてOKサインをもらった。一方の彼は、手を挙げ「少し待ってくれ」といっている。

 僕はいつでも試験前に「大丈夫、大丈夫」と言っているが、いつも祈っている。確認できることは確認し、最善を尽くしたと思っているが、「たまたま」ノイズが乗りその試験でデータが飛んでしまう事や、30、40以上ある計測用のコネクターの一つのつけ間違えによりデータが取れないような、運が悪いとしか思えないことが起こり、再試験を行わなければならないこともある。だから彼が僕と同じように、自分自身に大丈夫だと言い聞かせるために、手を挙げているのだと感じた。彼の緊張が制御室にいる僕にも伝わってきた。

 彼は、気持ちを落ち着かせるように車の周りを再びゆっくりと一周した。そして試験に移ることに決めたようだ。トランクから計測器用の充電装置を外し、完了したという意味のOKサインを僕に出すと、彼は光の中からそっと出て行った。ひと仕事を終えた役者のように。

 このリーダーのように僕よりも数多くの試験を実施して、経験を積んだプロフェッショナルな人であっても、試験をするときには緊張するのだ。衝突試験と言えば、車がバリアにぶつかる瞬間の映像が思い浮かぶだろう。確かにその衝撃は大きく、最も注目を集める瞬間であることに違いはないが、その舞台裏には、クライマックスシーンがうまくいくことを心配しながら見守っている人たちがいることを知ってもらえればと思う。

※ダミー:人間の体格に似せた人形。沢山のセンサーが入っている。


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