交通安全環境研究所 National Traffic Safety and Environment Laboratory

023 石の上にも三十年 -自動車排出ガスの試験、研究に携わって-
2011年06月15日
成澤 和幸(自動車基準認証国際調和技術支援室)

1.はじめに
 修士2年になって卒業後の将来を思案し始めた頃、運良く公務員試験に合格していたこともあり、国の研究機関への就職を考えた。当時、急速な経済成長のひずみと言うべき、公害問題が社会を揺るがしており、漠然とそのような問題を解決する仕事につきたいと思ったのがきっかけで、運輸省(当時)の付属機関である交通安全公害研究所の交通公害部に職を得た。今の交通安全環境研究所である。
 総勢100人足らずで、自動車審査も行っており、研究部門は40名強程度の小さな研究所であった。ここで自動車排出ガスの試験、研究を始めた。
 爾来30年余、公害というマイナスイメージの言葉が環境という言葉に取って代わり、大都市域を中心とした大気汚染から、地球温暖化を含む環境問題に人々の関心が移る中で、自動車排出ガスの計測、評価、低減技術開発に関する仕事に取り組んできた。

2.自動車排出ガスの仕事とは?
 環境省が大気の質に関して環境基準を定めており、これを達成するために工場や自動車からの排出物に対して規制をかけている。自動車については、人体に有害な一酸化炭素(CO)、光化学スモッグの原因物質である窒素酸化物(NOx)、炭化水素類(HC)、ディーゼル車からの粒子状物質(PM)が規制対象である。
 交通安全公害研究所は運輸行政の一端を担っていたことから、自動車排出ガス規制のための測定法の開発、排出ガス実態調査などが主な仕事であった。
 研究所に入って最初の仕事は、昭和53年規制適合ガソリン車の排出ガス実態調査であった。昭和53年規制とは、日本版マスキー法とも呼ばれ、世界で最も厳しいと言われた自動車排出ガス規制である。当時日本と同様に自動車排出ガスによる大気汚染に苦しんでいた米国で、マスキー上院議員が極めて厳しい規制案を提案していたが、米国より日本が一足先にこれを導入したことからこう呼ばれた。
 この規制に対応するために、自動車メーカー各社は知恵を絞ってさまざまな技術を考案した。その時開発された排出ガス対策技術の名前だけ列挙してみる。
○渦流生成ポット式
○二点火プラグ急速燃焼式
○渦流生成ジェット式
○スワール強化安定燃焼式
○プロテクタ付き副室予燃焼室式
○燃料噴射電子制御+三元触媒式
などなど・・・。

 自動車を専門としている方々でも、判じ物のようで何のことか分からないかも知れない。実に様々なアイデアが出され、百花繚乱の状態であった。
 これらを取り入れた自動車の排出ガス試験を実施したのである。ところが、規制のための認証試験における運転条件より、少し加速を強くしたり、高速で運転すると、排出ガスが多くなってしまう。それも2倍、3倍程度ではない車が幾つかあった。さらには、私が運転すると規制値に入らないが、メーカーのドライバーが運転すると規制値に入る車もあった。その後、高速走行が含まれるように認証試験における条件が見直され、より合理的になった。また排出ガス対策が進化し、おかしな挙動を示さない安定した技術が結果として生き残った。
 最近では、「オフサイクル試験」と呼ぶ付加的な試験を導入することにより、認証試験時の排出ガスレベルを、実路走行におけるどのような運転状態でも担保しようという議論がなされている。”排出ガス規制技術”も完成されつつあると思う。
 昨年7月、環境省より、大型車の排出ガス規制強化に関する答申が出された。この時、マスコミで余り大きく報道されなかったのが極めて印象的であった。かつては自動車の排出ガス規制強化は新聞一面のトップ記事であり、テレビのニュース番組ではオープニングタイトルを飾ったものだった。近年、二酸化窒素、浮遊粒子状物質の大気環境基準が、ほとんど総てと言っていいほど、多くの地点で達成されてきており、自動車の排気は昔に比べ、格段にきれいになっている。
 一般の人々にとって自動車の試験、研究といえば、動力性能を極めるためのエンジン開発や、自由に繰るための運動性能の向上、あるいは流麗な車体デザインなどが思い浮かぶであろう。それらと異なり、排気管から出てくる排出物を扱うのを一生の仕事にしたのである。「自動車排気なんて汚い物が研究になるのか?しかも排気管から出てくるところを追いかけてばかりで」、入所当時、よく聞かれた質問であった。
 ”研究になる”という表現には今でも違和感がある。解決すべき課題が目の前にあれば、これに取り組むのが自然だと思う。ただ、生成過程までさかのぼって低減しなければ本質的な解決にならないのは理解できた。そこで、大気汚染物の発生過程の解明と効果的な低減技術のために、ディーゼル機関の燃焼の研究に手を染めた。さらに、自動車の低公害化技術を幅広く一般の人々に知ってもらうための低公害車開発プロジェクトや、発展途上国も含めて排気のきれいな自動車を世界に普及するための自動車排出ガス規制手法の国際統一化、の分野に仕事を広げた。
 自動車の排出ガス計測に関しては、50ccのミニバイクから、総重量20tの大型トラックまで、ほぼ総ての車種について行った。ガソリン、ディーゼル、圧縮天然ガス(CNG)、ハイブリッド、燃料電池など、さまざまな動力の自動車を扱ってきた。
 燃料電池自動車は水しか排出しない究極のクリーン自動車では?と思う向きがあるかも知れない。実際は、排水中に毒性の強いフッ化水素が、微量とはいえ含まれる場合がある。人間の作ったものに、完全にクリーンなものなど存在しない、と思う。

3.おわりに
 人間が作ったものが引き起こした問題は、人間が解決するしかない。自動車メーカー、大学、官公庁など多くの人々の長年の努力と協力によって自動車の排気はきれいになった。
 今、日本には、原子力発電所の事故により放射性物質に汚染された地域が生じている。このような状況に心を痛め、日本の国土を浄化し、きれいに保つための仕事に付きたい、と考えている若い人がいるであろう。彼らが活躍できる場を提供することが、重要な国の役割と思う。そして、一刻も早く汚れのない空気、大地、海を取り戻し、二度と汚染される事がない日が来るのを期待したい。
 自動車の排出ガスよりも放射性物質による汚染の方が格段に困難な課題である、と反論する人々がいるのは承知している。素人が無責任な発言を、と立腹される方もおられるかも知れない。
 ただ、人間の作ったものに、全く解決できない問題も、また存在しない、と信じている。


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