交通安全環境研究所 National Traffic Safety and Environment Laboratory

015 文学部出身の機械屋 Student of Faculty of Letters Turned Mechanical Engineer
2010年03月11日
佐藤 進(環境研究領域 研究員)

 1.はじめに
 タイトルを読んで「ん?」と思われた方も多いかもしれない。今でこそ自動車からの排出ガス計測を専門として研究活動を行う機械屋であるが、タイトルの通り私は機械屋になる前は文学部に所属し歴史を勉強していた人間である。機械屋に転向して、もうすぐ10年になる。本稿では文学部からの転向とこれまで行ってきた研究について綴ってみたいと思う。

2.中世フランスの武器と騎士、Bertrand du Guesclinに関する研究
 1999年、当時私は慶應義塾大学文学部史学科に所属していた。史学の門を敲いたのは、史学の道を生業とする父の影響もあり歴史に興味を持っていたからである。その年の4月に西洋史学専攻の神崎忠昭教授のゼミに入ることになった。神崎先生の専門は西洋中世史であり主にキリスト教史に関する研究である。私は神崎先生のゼミにおいて、3年生では百年戦争期の武器と騎士の研究、4年生では百年戦争初期に活躍した中世フランスの軍人であるBertrand du Guesclin(ベルトラン・デュ・ゲクラン,1320年~1380年)に関する研究を行っていた。当時のフランス軍とイギリス軍の武器の違い、傭兵たちの生き方、英雄と称されたdu Guesclinの活躍などを調べていた。とはいえ「研究」といっても入手できる史料が少なかったこともあり踏み込んだことまで調べることができず、今思い返せば中途半端な卒業論文になってしまったことを悔やむばかりである。

3.理系への転向
 話は前後するが1999年当時、私は友人と共に車で遊ぶことを趣味としていた。友人同士で共有の工具を購入し、素人ながら本を見て自分の車のサスペンションの交換などを行っていた。車のいろいろな箇所をいじったりしていたが、その当時思ったことは「エンジンだけは素人では手が出せない」ということである(今思えば可能だったような気もする)。しかしその気持ちが「エンジンのこと勉強してみたい」という好奇心に変わったのは事実であった。2000年に入り3年生も終わりに近づいた頃に神崎先生と進路相談をした際、「理系に転向してエンジンのことを勉強したい」という私の無謀な考えを先生は支持して下さった。ただし慶應では文学部から理工学部に転向したという事例がそれまでなく、いろいろと調べた結果、手元に残ったものは当時の理工学部紹介パンフレットだけであった。
 どうにも埒があかずパンフレット内にあった「内燃機関」というキーワードを頼りに、理工学部でエンジンを専門にする飯田訓正教授にメールを打ち、文学部から転向してエンジンのことを勉強したいと思っている、という旨を伝えた。そして3月末に飯田先生の研究室を訪問し、4年生から研究室の行事に可能な限り参加する許可をいただくことになったのである。また大学院理工学研究科の入学面接試験も受けさせてもらえることになり、大学院から正式に理系に入ることが決定した。
 といってもそれまで大学の理系の勉強は皆無に近かったわけで、4年生のときは文学部の卒業研究、神崎ゼミへの出席、飯田研究室の行事参加をしながら、熱力学、数学、物理、化学等の理工学部を科目の履修する毎日が続いた。あまり知られていないかもしれないが、大学では手続きを踏めば他学部の科目を履修できる。興味のある他学部の科目を履修することも手間はかかるかもしれないが可能である。

4.中世フランス史からHCCIエンジンへ
 こうして2001年より理工学研究科総合デザイン工学専攻での大学院生活が始まった。中世フランス史の勉強をしていた人間が、エンジンの研究をすることになったわけである。飯田研究室では次世代内燃機関として注目されるHCCI(Homogeneous Charge Compression Ignition,予混合圧縮自己着火)エンジンの研究を行っている。内燃機関の歴史において、1876年にニコラウス・オットーによりガソリンエンジンの原型となる内燃機関が開発され、1893年にルドルフ・ディーゼルによりディーゼルエンジンが開発された。19世紀の技術者によって開発され、今や自動車用エンジンの主流となったガソリンエンジンとディーゼルエンジンの両者の技術を異種交配させて生み出されたのがHCCIエンジンである。
 ただしHCCIエンジンの実現には、着火時期のコントロールが困難、高負荷運転が困難といった大きな課題がある。飯田研究室の研究では、修士課程から博士課程の5年間を通じて如何にして上記の課題を解決するかについて、燃焼実験と素反応数値計算を用いたシミュレーションにより研究を行った。
 こうして2006年3月に博士課程を修了し、学士(史学)、修士(工学)、博士(工学)という極めて稀な組み合わせの学位を取得するに至った(図1)

図1 学士,修士,博士の学位記



5.実路走行条件における燃費・排出ガスの計測
 慶應での学位取得と時を同じくして、2006年2月より独立行政法人交通安全環境研究所環境研究領域で研究員の職に就くことになった。研究所では自動車からのCO2排出量の評価をする事業等に従事しているが、実路走行条件における燃費・排出ガスの実態把握とそれに関わる計測手法についての研究を主に行っている。
 現在、自動車の排出ガスの認証試験では決められた走行パターン(モードという)を運転し、そのときの排出ガス量が規制値内に入るか否かという形で行われている。しかし実際に路上を走行する場合には、モード走行時とは異なるエンジン領域を使用することになる。このような実路走行条件における燃費・排出ガスの実態を把握するためには、車両に搭載可能な排出ガス分析計が必要である。また実験室内でのモード走行試験とは異なり、実路走行においては車両の挙動、エンジンの挙動が道路インフラや交通状況によってめまぐるしく変化する。そのため車両の挙動や道路状況を排出ガス挙動と同時に計測することが必要となる。そのような排出ガス挙動以外の計測項目についても計測手法を確立し、実際に路上を走行させて計測試験を行っている(図2)。

図2 車載型排出ガス分析計の実装例



6.おわりに
 「文学部出身の機械屋」という特殊な経歴を持った私のこれまでの研究について書かせていただいた。今になって自分のこれまでのことを振り返ってみると、たった一つの車に対する好奇心から始まり、今の自分の研究活動が形成されたと思う。振り返ってみて実感するのは、自分が「これは面白い!」と感じた場合、その直感に従い道を志すことの大切さである。またそうした好奇心に応えてくれるような環境が大学にも十分あるということである。
 最後に私の無茶な挑戦を応援してくれた慶應義塾大学文学部神崎忠昭教授、また文学部から突然やってきた私を受け入れてくださった同理工学部飯田訓正教授にこの場をお借りして感謝の意を表す。

以上

※日本機械学会誌2010年3月号メカライフ特集号,Vol.113,No.1096,“機械屋になって10年 文学部出身の機械屋”より一部加筆修正の上、転載。

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