交通安全環境研究所 National Traffic Safety and Environment Laboratory

011 21世紀の交通 夢か悪夢か
2009年05月25日
大野 寛之(交通システム研究領域 研究員)

 21世紀に入りまもなく10年が経とうとしている。SFの世界では「2001年宇宙の旅」(注1)が実現しているが、現在のところ宇宙に観光旅行で行くことができるのは限られた大富豪だけであり、一般市民は地球の上に留まり、その移動手段はもっぱら陸上交通が中心である。かつては「夢の未来」であった21世紀である今、陸上交通は夢の世界を実現していけるだろうか。

 20世紀最初の年である1901年の報知新聞紙上に「二十世紀の豫言」と言う記事が掲載されている(注2)。ここに描かれた20世紀の交通の予測は、その多くが現実のものとなった。例えば、鉄道の動力が石炭ではなくなり東京神戸間が2時間半で結ばれると言った高速鉄道に関する予測は、新幹線により見事実現している。また、鉄道に関する予言として、「文明国の大都会にては、街路上を去りて空中および地中を走る」ことも言い当てている。さらには、鉄道車両に冷暖房が完備することまでをも予言している。自動車交通についても、廉価な自動車の普及を予言しており、T型フォードが製造される7年も前に、今日の大衆化した自動車社会を予測している。

 21世紀の未来予測として、昭和生まれの世代には小松崎茂画伯(注3)の描く未来図を懐かしく思い出す人も多いだろう。また、様々なSF映画やアニメーションにおいても多様な21世紀の未来図が示されてきた。しかし21世紀の最初の十年が終わろうとしている今、車輪のないエアカーは宙に浮かんでおらず、高層ビルの間を結ぶチューブの中の動く歩道に整然と並ぶ人の姿も見ることはできない(むろん人々は銀ピカのジャンプスーツなど着てはいない)。都市の道路を埋め尽くすのは20世紀と変わることなく旧態依然とした内燃機関で動く自動車ばかりである。

 内燃機関をはじめとして、化石燃料を大量に消費することが、地球環境へ多大な影響をもたらすことは周知の事実である。既に1972年にはローマクラブが「成長の限界」を指摘しており、今日的な話題としては地球温暖化対策が喫緊の課題となっている。炭酸ガスはイーハトーブを冷害から救う救世主ではなく(注4)、今や環境破壊をもたらす最大の敵なのである。

 ここ数年、交通分野における環境対策として電気自動車が注目を集めている。「究極的には燃料電池自動車が理想だが、その実用化までを埋めるものとして当面は電気自動車の普及が見込まれる」との議論もある。確かに電気自動車は走行の際に排気ガスは一切出さず、また、内燃機関と比較してエネルギ効率が良いことも事実である。しかしこうした主張は所詮現在の自動車社会の延長でしか物事を捉えておらず、根本的な問題には目をつぶっていると言わざるを得ない。
 最近実用化された小型の電気自動車でさえも車両重量は1t近くある。乗用車の平均乗車人数は2人を切っており、この状況は電気自動車になっても変わらないであろう。人間一人を移動するのに0.5~1tもの金属の固まりを引きずるような非効率な状況は電気自動車になっても変えることはできないのである。どれほど非効率であるかは自分自身の手で自家用車を1km引っ張って移動してみれば体で理解できるであろう。平地でも大変な重労働となるし、坂道であればたとえ1‰の勾配であったとしても、とてつもない労力を要することになる(ウソだと思ったら是非お試しあれ)。
 電気自動車や燃料電池自動車は、エネルギ効率の問題だけでなく渋滞の問題も解決することはできない。もちろん交通事故を減らすこともできない。こうした点を見ずして「21世紀は電気自動車の時代」などと言って良いものだろうか?

 ドア・トゥ・ドアの便利な移動手段として、自動車の持つ利便性の高さは他の交通手段を圧倒している。しかし、地球環境やその他の交通問題を考えると、このまま使い続けることはおそらく許されないであろう。
 そこで重要になってくるのが公共交通機関の役割である。公共交通の中でも、摩擦の少ない鉄輪と鉄レールとで走る鉄道が、大量輸送することにより単位輸送量当たりのエネルギ効率を極めて高いものにしていることは今更言うまでもない。しかし、鉄道の最大の弱点はレールから離れられないことであり、旅客を最終目的地まで送り届けることは絶対に不可能である(最終目的地が駅であるなら別だが・・・)。
 こうしたことから考えるに、21世紀にふさわしい環境に配慮した交通手段としては、公共交通と個別交通のベストミックスを図る以外に選択の余地はないのではないだろうか? ベストミックスとしては、主要幹線、地方幹線、地域幹線、コミュニティ路線、個別移動へと段階を追って、鉄道からLRTやバスへ、そして最後は個別輸送機関へとスムースに繋げていくことが求められるであろう。この際、バスの動力は電気へと変わっているであろうし、個別輸送機関としては自転車が見直されるとともに、新たな小型電気自動車が生まれてくるのではないだろうか。
 コミュニティ内の限られたエリアしか移動しないのであれば、電気自動車もバッテリを大きくする必要がなく、また、高速性能も必要ないので、いわゆる原付4輪のミニカークラスの車両で充分であろう。

  また、21世紀の交通手段は運用のソフトも変化していくものと思われる。それは「所有から利用へ」と向かっていく流れである。例えば、パリ市内で始まったヴェリブ(注5)は、そうした流れの好例と言える。また、日本においてもレンタカー会社や駐車場運営会社がカーシェアリングに力を入れ始めている。路上にあふれかえる自動車や駅前を占領する放置自転車は21世紀の都市風景としてふさわしいものとは言えないだろう。夢の未来図としてはクリーンでスマートな都市景観を実現したいものである。IDカードを利用して小型電気自動車にさっと乗り込むカーシェアリングの利用者の姿は、かつて夢見た未来図に少しは近いような気がするがいかがだろうか?

 各種交通問題や環境問題の解決に向けた努力をせずに、今のままのパラダイムで突き進んだらどのような未来になるであろうか? 一つのシミュレーションとして、21世紀半ばには江戸時代のような自給自足の世界になっていると言うことも考えられる(注6)。
 現在のようなエネルギの浪費を続けていたら、経済および社会の破綻は避けられないであろう。漫然と自家用車を利用し続ければ、夢の未来ではなく悪夢の世界へと向かうことになりかねないのではないだろうか。
 「景気対策」と称して自家用車の利用を促進するような政策を推し進めることは、燃料タンクが空に近い飛行機の高度を、さらに上昇させるようなものである。行き着く先はハードランディングしかなくなってしまう。そうではなく、燃料を節約してソフトランディングを目指せば、いつの日か次の離陸に繋げることも可能である。

 子供の頃は科学の進歩した夢の未来を考えていた。明るい未来を実現させるには大きな環境負荷となっている交通の問題を、何とか良い方向へ持っていくことを考えなければならない。
  我々交通技術に携わる研究者は、個別の要素技術の性能向上ばかり考えるような蛸壷型の研究に嵌り込むことなく、大局を見据えて明るい未来を目指して研究を進めていきたいものである。

注1:「2001年宇宙の旅」アーサー・C・クラーク作のSF作品。スタンリー・キューブリック
   監督による映画が1968に公開された。続編として「2010年宇宙の旅」がある。
注2:新聞小説家の村井弦斎の筆によると言われている。
注3:空想科学的な絵で有名な画家(1915-2001)。http://www.komatsuzaki.net/
注4:宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」では、火山を爆発させ炭酸ガス濃度を上げることに
   より、イーハトーブは冷害から救われた。
注5:路上に設けられたステーションで、利用者自身で貸出・返却を行うセルフレンタルの
   自転車。
注6:「2050年は江戸時代」石川英輔著の近未来SF小説。

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