交通安全環境研究所 National Traffic Safety and Environment Laboratory

010 自動車基準の国際調和活動(GRRF/ブレーキ・走行装置を例として)
2009年04月23日
廣瀬 敏也(自動車安全研究領域 研究員)

●はじめに

 私が交通安全環境研究所に入所したのは、2005年4月のことです。それまでは、大学の研究室で自動車の安全性について、ドライバ特性や車両の操縦性・安定性などの研究を行っていました。その研究室には、実験ツールとして運転状態を仮想的に再現することができるドライビングシミュレータがありました。そのドライビングシミュレータは、ハードウェアおよびソフトウェアを数十年かけて手作りで構築したものであり、大手メーカーが製作するようなきれいなシステム構築ではありませんが、カスタマイズは自由にすることができ非常に有用な実験ツールでありました。その研究室では、6年間を先生方にご指導頂き、研究者としての礎を築くことを学ぶことができました。
 私が初めて交通安全環境研究所を訪れたのは、2004年の夏のことでした。当研究所では当時大型のドライビングシミュレータを建設することが決まっており、その話を当研究所の客員研究員をされている先生から伺っていました。私は、以前から主としてドライビングシミュレータを用いた研究に仕事として携わりたいと考えていたこともあり、交通安全環境研究所にて働いてみたい旨を先生に伝え、先生が当研究所の理事と研究領域長を紹介して頂けることになりました。かねてより論文集などで名前は知っていましたが、その際に初めて当研究所を訪れることになりました。そこで前任の小高理事と谷口自動車安全研究領域長を紹介して頂き、当研究所の役割や業務内容を説明して頂き、大型ドライビングシミュレータの構想を教えて頂きました。そこで、研究員を募集していることも聞き、迷わずに応募することを決めました。大型ドライビングシミュレータの構想は、その当時では最先端のものであり、世界的な規模で考えても二本の指に入るくらいのものであり、構想を聞いた時は鳥肌が立つくらい驚きました。そのような研究業務に携わることができるチャンスを頂いたことに感激し、今でも有り難く思っています。
 2005年4月から採用されることが決まり、研究員として勤務が始まりました。ドライビングシミュレータは、その仕様を決定する最終段階に入っており、週の半分近くをその会議に費やす日々が続きました。ドライビングシミュレータが完成したのは2006年3月であります。入所当時は、シミュレータ関連の仕事や燃料電池自動車の基準策定業務を主に行っており、9月にはカナダのバンクーバに初めての海外出張も経験させて頂きました。その際に英語での交渉の難しさを実感し、常に日頃から英語に慣れ親しんでいることの必要性を感じることができましたが、まさかそれが業務の根幹となるとは夢にも思っていませんでした。

●自動車基準認証国際調和技術支援室

 2005年10月のことです。谷口領域長よりJASIC(自動車基準認証国際化研究センター)のブレーキ分科会にオブザーバーとして一緒に出席するようにと言われ、自動車基準の国際調和活動について説明をして頂きました。そのときは、主旨を理解することができましたが、議論している細かな内容までは把握することができませんでした。会議では、車型をあらわすM1(乗用車)やN1(商用車)、基準のナンバーを表すR13H(乗用車のブレーキ)やR79(ステアリング)という言葉が飛び交っており、ブレーキの会議という認識でいましたが、まるで異色の会議に参加しているようでした。ABS(アンチロックブレーキシステム)という言葉を聞いてホッとしたことを記憶しています。 それから数カ月した後に国際的な基準の統一についての技術的な支援を行う自動車基準認証国際調和技術支援室(以下,支援室)が本研究所に設置されました。そこで、未熟ながらも私がブレーキ・走行装置を担当することになりました。幸運にも支援室にはアドバイザーが来られることになり、それがブレーキの専門家であり、前JASICブレーキ分科会会長であります岡アドバイザーでした。岡アドバイザーは、まだ右も左もわからない私に一から国際基準調和活動のイロハを教えて頂き、難解さとボリュームからモンスターと言われている大型車のブレーキ基準(R13)を教えて頂いております。今でも国内の対応方針を決める会議には、岡アドバイザーと出席してご指導いただいております。

●自動車の基準について

 昨今、自動車の安全性や環境対応に関する記事などをよく目にします。これらの性能は、日本政府が担保しており、自動車の保安基準(法律)によりある一定レベルの性能を満たすように製作されなければ一般道を走行することができないようになっています。このようにしてユーザーである私たちを国が保護しています。当研究所には、自動車審査部があり、そこでは販売する自動車をこれらの保安基準に合致するか事前に審査を行っています。その保安基準には、様々なものがあり、代表的なものには排気ガス、騒音、灯火器、衝突安全、制動装置などがあります。すべての保安基準をトータルすると約1500ページにもおよぶものになります。例えば、制動装置すなわちブレーキを例に考えると、どのような自動車でもブレーキペダルを踏むと停止するようになっていますが、ここにも基準の要件があり、停止するまでの走行距離や減速度などの最低限の性能を有して自動車を停止させなければならないようになっています。衝突安全を考えると、衝突時にドライバに及ぼす影響を考慮したボディ設計やチャイルドシートといったものまで安全性に関する基準があります。このように私たちが日常的に使っている自動車は、様々なルールのもとに製造され、安全性や環境に寄与するようになっています。

●自動車基準の国際調和活動

 ここでは、この基準の決め方、中でも自動車基準の国際調和活動のことについて記述していきたいと思います。まず、これまでの基準はそれぞれの国ごとに定めているものであり、日本で自動車を販売するには日本の基準の審査を受けて合格する必要があり、同じ自動車でもヨーロッパで販売する時はヨーロッパの基準の審査を受けて合格する必要がありました。しかし、自動車はグローバルな製品であり、安全や環境に求められる性能が各国によって大差がないのであれば、日本の審査に合格している自動車をヨーロッパで審査なしで販売しても問題ないことになります。これにより、性能の統一化や審査時間の短縮等の効果があり、沢山の自動車を輸出している日本の自動車メーカーにとっても有益なものであります。これには、まず国際的に統一の基準を定めることが必要不可欠になります。
 現在、国際基準の動向を見てみると、欧州経済委員会が定めているECE基準、米国が定めているFMVSS、その2つを統一して世界統一基準としたGTR(Grovel technical regulation)があります。この中で日本の置かれている状況を説明したいと思いますが、その前に冒頭に書きました自動車の審査のことを書きたいと思います。実は、この審査の方法により、基準の規定方法などが変わってきます。国際的に見て審査には2通りの方法があります。自動車の安全性や環境性能が基準に適合しているか事前に審査する方法と事後に審査する方法があります。欧州を含めてほとんどの国が事前に審査を行っていますが、米国などは事後に審査を行っています。日本は事前に審査を行う方法を用いています。そこで、国際基準調和の中で日本が置かれている状況ですが、日本は事前に審査を行うECE基準を批准することになっています。まだ、すべての基準ではありませんが、いくつかの基準は、欧州経済委員会が定めているECE基準とまったく同じ要件が定められています。例えば、乗用車の制動装置、乗用車用タイヤ、四輪車灯火器取り付け、側面衝突乗員保護などがあります.これらの基準は、欧州経済委員会が行っている国際会議にて変更がなされた場合は、日本の基準も同じように変えなければなりません。日本にて基準の内容を変更する場合も国際会議に提案し、承認されなければ変更ができません。日本にとっては、自由度は少なくなりますが、基準の国際調和の利点を考えると当然の流れであると思います。
 欧州経済委員会が行っている国際会議がWP29であり、その傘下にそれぞれの細かな技術内容を検討するGRがあります。GRPEは排気ガス、GRBは騒音、GRSGは安全一般、GRRFはブレーキ・走行装置、GREは灯火器、GRSPは衝突安全であります。著者は2006年度から GRRF(ブレーキ・走行装置)を担当していることからその内容について紹介させて頂きます。

●国際会議GRRF(ブレーキ・走行装置)

 GRRFの国際会議は、スイスのジュネーブにあります国際連合欧州本部にて年に2回行われています。日本からは飛行機を乗り継いで到着するまで15時間くらいかかります。会議には、各国の政府代表者や自動車業界・部品業界の代表者の50~70名が出席し、議長が議題に従って会議をコントロールし、月曜日から金曜日まで朝から夕刻まで議論しています。会議は、主に英語が用いられており、通訳のある言語もありますが、日本語は対象外になっています。よって、各国の意見を英語で聞き、英語で発言できる能力が求められます。私の担当しているGRRFは、ブレーキと走行装置に関する基準を議論しており、その対象はタイヤやステアリングといったものまで対象となります。例えば、ブレーキでは乗用車および大型車のABS(アンチロックブレーキシステム)やブレーキアシストシステム、タイヤではTire GTRの策定、ランフラットタイヤがあります。また、横滑り防止装置やタイヤの空気圧警報システムなどの比較的新しい装置の基準化も検討されています。当研究所でも基準の作成において技術的な検討課題を研究し、その成果を国際会議の場で発表し、基準に資するデータを提供しています。その例を下記に示します。

★ブレーキアシストに関する研究
http://www.unece.org/trans/doc/2007/wp29grrf/ECE-TRANS-WP29-GRRF-62-inf11e.pdf

★被害軽減ブレーキに関する研究
http://www.unece.org/trans/doc/2008/wp29grrf/ECE-TRANS-WP29-GRRF-S08-inf12e.pdf

●国際会議での経験

 まだ、数は少ないですが、これまでに各国に日本の考えを提案した経験から記述したいと思います。国際会議では、力を持っている主要国を見極めて、その各国に日本の意見をインプットし、サポートしてもらう必要があります。それには、語学のハンディーキャップもあることから説明資料を上手く活用・作成することが鍵となります。また、本会議のみで説明するには時間がない場合や意思の疎通が通らない場合があるので、事前にコーヒーブレイクなどの時間を活用して日本の意見をFace to Faceで伝えることが重要だと思います。また、何事を説明する場合もロジックを上手く組み立てる必要があります。技術的に正しいことを言っていても論理的に説明しなければ相手に伝えることができずに各国のサポートを得ることができません。上記は会議における注意事項と考えていますが、それよりも重要なことがあります。それは、事前に日本の提案に対する各国の意見を把握することです。事前というのは、ジュネーブでの会議に対して日本の方針を決め、本会議が開催されるまでの間に日本にいて情報収集をすることです。それによって、本会議までさらに思考を重ねて提案することができます。言い換えますと、このような国際会議にて上手く振舞うためには、感度の良いアンテナを持っていることが必要不可欠になると思っています。近年、インターネットの普及により、各国とこのような情報のやり取りをする場合も有力なツールになります。また、私はまだ経験はありませんが、支援室の成澤室長はよく国際電話も活用しています。以前にブレーキアシストの基準を策定した際に本研究所の試験データをもとにした提案をE-mailにて、欧州各国に支持をしてもらえるように交渉しましたが、時差や締め切りの関係もあり夜中の2時くらいまでメールのやり取りをしたこともありました。前述にFace to Faceで意見を伝えると記述しましたが、E-mailでの交渉も同じことが言えます。これは失敗談ですが、E-mailを送る際に“Dear Colleagues”などとして各国の関係者全員に送信してもあまり応答はありませんでした。ここでもFace to Faceではありませんが、個別にE-mailを送信して交渉をする必要があります。個別にE-mailを送りますと各国の全員から意見を受け取ることができました。これは、ちょっとした配慮と思いますが、これにより日本の提案が左右されるのであれば良い経験をしたと思います。
 GRRFは、前述したように年に2回あります。そこには、ブレーキ法規のプロフェッショナルが集まる訳ですから分からないことを聞くには絶好の機会です。出張に行く前にはわからないことを質問するようにしています。主に大型車のブレーキ(R13)に関することですが、疑問点を解決することと同時に各国の関係者と面識を別途持てるのでつながりを作る上では効果的です。日本と欧州各国では、常日頃から連絡を密にとるのは距離的な制約もあってなかなか難しいです。例えば、日本の提案をサポートしてもらうために一日の会議に出席する場合でも最低4日を費やして出席しなければならず、国内出張と同様の感覚では行くことはできません。また、言語が違うように、自動車の文化も違うことから日本の状況を伝える場合にも面識があることが重要な武器になると思います。E-mail等はありますが、少しでも各国の関係者と直接面識を持てるような努力は継続的に必要だと思っています。

●おわりに

 予防安全装置という言葉をご存じの方も多いと思いますが、前述しましたブレーキアシストや被害軽減ブレーキがそれに含まれ、自動車の衝突防止や衝突時の被害軽減をするものです。現状のGRRFでは、これらの予防安全装置の基準化が緒に付き始めております。近々では被害軽減ブレーキや車線逸脱警報装置の基準化は、すでにアナウンスされて活動がまさに開始しようとしているところです。これらの予防安全装置の研究・開発は、世界的に見ても日本が先行しております。当然、基準化においても日本が貢献できる部分は多く、日本の技術が国際的に注目させることになると思います。自動車は、日本にとってその産業の大きさやユーザーの多さからすでに日本人の文化になっていると思います。予防安全装置は、数十年を掛けてまさに日本が育てた文化であると思っています。その文化を大切にし、日本発の文化を欧州の中に上手く調和させることが、今後の役割であると感じています。

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