交通安全環境研究所 National Traffic Safety and Environment Laboratory

008 ドライビングシミュレータ雑感 - 次世代高性能ドライビングシミュレータを考える -
2009年01月29日
谷口 哲夫(自動車安全研究領域長)

● はじめに
 本研究所では、一昨年度、大型の研究用ドライビングシミュレータ(以下DSとする)を開発した。DSは、ドライバーに対して、実際に自動車を運転しなくてもDSのコックピット中で運転している状態を再現するものだ。DSがあれば、走行中の運転状態を実験室の中で再現できるため、運転する人、ドライバーが、いろいろな場面や環境でどのような運転行動をとるのか、どのような運転特性を持っているかなどについて調べることができる。このため、人間と自動車間のヒューマン・マシン・インターフェースの研究には欠かすことのできないツールとなっている。また現在、自動車の事故を防止するために世界中で多くの予防安全の研究が進められている。ハンドル操作やブレーキ操作の誤りを車両が警報したり、自動的に支援したりするようなシステムも検討されている。既に実用化されている衝突被害軽減ブレーキ、ESC(横滑り防止装置)などのシステムをご存じの方も多いだろう。DSは、このようなシステムが動作する緊急場面や危険場面を簡単に作り出せるため、これらのシステムの有効性や効果を評価するためにも無くてはならない存在となってきている。

 当所のDSは、完成し運用を始めてこれまで約2年経過しているが、この間大きなトラブルもなく、運転時の危険場面の再現やドライバーの運転状況の再現などの実験にフルに稼動している。このDSの特徴は、通常のDSが持っている運動再現用の機構部分全体を水平方向に運かす並進機構を持っていることだ。このため、全体の大きさは約20m×7m×6mあって、上部にDSのコックピットとなる小型乗用車が据えられている。
 DSは、HMI(ヒューマン・マシン・インターフェース)実験棟と呼ばれる専用の建物の中に置かれているが、この種のDSとしては規模が大きく、完成時は世界で二番目、国内で最大の規模であった。大きければ良いというものでもないが、運動再現性を高めようとすれば原理的には大きくなる。昨年、国内の自動車メーカーで、より規模が大きいDSが整備され、当所のDSは国内最大ではなくなったが、ダイナミックス、運動再現能力は、現時点でも世界トップと自負している。
 設計については、自分が中心となってアイディアを出し、約一年半かけて開発したものだが、先日、部屋を整理していたら20年以上前の古いスケッチブックが出てきて、ほとんど同じような装置のラフスケッチがあった。20数年経っても、自分の発想自体はほとんど進歩していないことが分る。もちろん、設計チームの他のメンバー、製作メーカーの方々の意見・アイディアも多く入っていて、決められた期間、製作費で形にできたのはこれらの人たちの力が大きい。また、完成後数ヶ月から実験を開始できて、これまでそれなりの信頼性で運用できているのも製作メーカーのノウハウによるところだ。

 このDSはまた、研究者ではない一般の方にも実際に乗り込んで体験できる分かりやすい施設である。このため、外部の方の所の見学コースには必ずといってよいほど組み込まれる。DSを公開してから2年と少し経つが、この間、見学された方は延べで700人以上、このうち実際に試乗された方は300人近くになる。実験で運用している合間に見てもらったり乗ってもらったりするということで、担当者にすればずいぶん忙しい感じになる。
 見学者からの質問で一番多いのが「最高速度はどれだけ出せますか」というものだ。これは、研究者、技術者ではない一般の方に多い。これには私は「いくらでも出せます。」とお答えすることにしている。
 見学者の感想で最も多いのが「大きいですねぇ」「でかいなぁ」というものだ。これは、一般の方からも、DSをよく知っている研究者、技術者からも多い。見学では、エントランス横の小さなドアを開けると、直ぐにDS直下のフロアに入る。室内に入ると乗用車が頭上の4mぐらいの所に据えられているのが最初に目に入るので、思わず大きいと口にされるようだ。また、DSを知っている方でも、通常のDSは、ちょっと大きな実験室の中ぐらいに置かれているものが多いので、やはり驚かれる。この「大きい」「でかい」という感想には、「これでも小さいんですよ。」「まだ足りないくらいです。」とお答えすることが多い。自分としては、この程度は最低必要とかもっと大きくしたかったという想いがつい口に出てしまう。
 この2つの質問・感想については、それぞれ関係があるので、後に紹介する。

● DSのしくみ
 DSは実際に自動車に乗らなくても、車を運転している状態を再現するものと書いた。言い換えれば、DSに乗り込んだ人に、実際に自動車で道路を運転していると錯覚させるものだ。このため、DS搭乗者の視覚、聴覚、運動感覚に対して、錯覚させるための情報を与えることになる。
 当所のDSで言えば、視覚情報については、ドライバーの前方視界、車外の風景などのCG画像を、5台のプロジェクタを使って車両周りのスクリーンに投影する。聴覚情報については、走行音、車外音などを車外の4個のスピーカで、エンジン音、排気音などを車内の2個のスピーカで再生する。走行時の振動については、車体全体と床面が加振される。運動感覚については、車両の運動に伴ってドライバーが受ける加速度を再現する。この加速度によって、ドライバーは、加速時にはシートバックに押し付けられるように感じ、ブレーキング時には前につんのめるような感じを受け、コーナーリング時には遠心力で体が引っ張られて足を踏ん張る。
 これらの加速度を再現するためには、通常のDSでは、重力の加速度を使う。つまり、ドライバーを運転席(車両)ごと傾けることで、重力の加速度をその方向に振り向けて、つんのめる、押し付けられる、体が引っ張られるといった感じを作り出す。これは言ってみれば傾斜方式と言えるもので、ある意味巧妙な方法ではあるが基本的にいくつかの問題がある。この方式では、重力の加速度1Gの一部を前後左右加速度に分けて使うため、元来ドライバーに垂直に働いているはずの1Gがその分減ってしまう。また、緊急ブレーキなどでは、減速の加速度が立ち上がる短い時間で急に車体を下向きに傾ける、回転させることになるため、ドライバーにその回転が分かり不自然さが出てしまう。したがって、この方式では、再現体感加速度は最大でも0.2~0.3Gが限界とされている。これは、通常の運転で普通に停止するとき発生する加速度よりやや大きい程度で、これでは緊急場面等を再現することは難しい。
 そこで、私どものDSで採用しているような併進方式ということになる。これは加速度を併進運動によって発生、再現しようというもので、例えばつんのめるような感じは、実際に併進移動で車体を加減速させて、つんのめらせる。私どものDSでは、10t近くある通常の傾斜機構付きのDSを、更にリニアモータで駆動して8mの範囲で運動させるのだが、急ブレーキ状態などでは、移動させるというよりも車両を振り回すような感じとなる。このことからお分かりになるかと思うが、この並進方式でドライバーに対して加速度をある時間発生させ続けようとすると、少なくともそれだけの移動ストローク、距離が必要となる。したがって、この方式の欠点は、ある程度の広さ、スペースが必要なことと、そのスペース中でコックピットを振り回すだけの機械装置とパワーが必要となることだ。
 当所のDSは、前記の傾斜方式とこの併進機構方式を組み合わせて、所定の性能を得るもので、持続時間にもよるが0.7G以上の加速度を再現できる。

● 現在のDSの性能
 以上がDSのしくみの概要だが、仮想の世界を現実らしく再現するということで、これを実現するには、電算機計算による制御技術、機械動力部分の制御技術、画像再生技術等の多くの技術が必要なことは言うまでもない。そしてそこではまた、それらの各技術を総合して全体をまとめる技術が求められるが、DSの性能といっても、最終的には人間をどれだけ上手く騙すことができるかということにつきる。
 それでその再現性能ということになるが、DSが現在どの程度のレベルにあるかということになると、人様を騙せるかという観点から言えば、率直に言ってまだまだ不完全と言わざるをえない。視界は平面で奥行きがないし、運動感覚の再現にも限界がある。視覚情報と運動感覚にもずれがあるし、操舵にしろブレーキングにしろ、運動が少し速くなってくるとタイヤと路面の間で起こっている力のやり取りを正確に伝えて再現するのも難しい。
 まだこの種のDSに乗られたことのない方は、ヒチコック監督などの古い映画を想像していただければ良いと思う。映画中の車の運転シーンをご存じだろうか。主人公とヒロインが運転しながら会話をする。車は少し揺れるし俳優も運転の演技はするが、よく見れば車外の風景はスクリーン映像で、スタジオ撮影だと分かる。最近の小型カムでの実写に比べれば実際の撮影ではないなぁとは思うが、なんとか我慢できるかというところで、そのシーンがあるから嘘っぽくて映画全体を観る気がしないということにもならない。真の運転体験と比較すれば、DSの運転体験も、まあ、そんなところだと思う。
 次に、そんなDSが研究用として使えるかということになるが、問題は、DSを操作するドライバ(被験者)が、実際の車を運転しているのと同じ状態となれるかというところにある。DSを使った実験では、必ず実験の「妥当性」の検証が求められるが、これも実際の運転状態を再現できているかが問題となるためだ。これに関して言えば、再現する現象にもよるが、何とか及第点が付くというのが、私どものDS、そして最近のDSの技術レベルではないかと思う。まだまだ不十分、不完全なDSの再現能力に対して及第点が付くその理由は、主に人間側の特性にある。騙す側のDSがまだ不完全なレベルにあるのは事実として、騙される側の人間の方もアバウトというか適応力があるというか、多くの人が10分も操作していればそれなりに実車を運転している気になってくる。私どものDSでも、少し運転に慣れると、追突場面では必死にブレーキを踏み、必死にハンドルを切る。ぶつかりそうになると、つい声も出る。TVゲームのファミコン画像程度の勇者にでも手に汗握るぐらい感情移入できるのだから、それから考えれば当然のことかもしれない。
 仮想現実ヴァーチャル・リアリティという言葉があるが、そのヴァーチャルな世界をいかに現実世界と感じられるかが、DSの性能ということになる。ヴァーチャルな中でも、それなりに「没入」できればDSとしては成功と言える。

● 見学者の質問・感想について
 最初に書いた、見学の方のご質問・感想についてだが、このうち「最高速度はどれだけ出せるか」について言えば、DSでは、走行速度は前方・車外風景の移動速度に当たる。このため最高速度と言っても、プロジェクタで映し出す風景をどれくらい速く流すかというだけのことで、まあ「いくらでも出せます。」という答えになる。
 次に、もう一つの「大きい」「でかい」という感想については、私は考え方次第ではないかと思っている。実際の自動車の走行を再現するとして、その占有面積的な効率を考えると、DSのそれは高い。当所のDSは長さ20m×幅7m程度、高々こんなもので、世界中の道路の走行を再現できる。北京-パリ間、南北アメリカ縦断でもやってのけることができる。そう考えると、スペース効率はすこぶる高い。これは、上に挙げた走行速度の話と関係する。どんなに高速でも、プロジェクタで映し出す車外の風景を速く流すというだけでどこまでも走れる。何だ、コンパクトじゃないか。ずいぶんコンパクトだ、という気もしてくる。20m×7mなど実にささやかなものだという気持ちになってくる。

● 次世代の高性能DSについて
 私どものDSの運動再現機構は、傾斜方式と並進方式を組み合わせて使用しているが、実際に使ってみると、並進方式、これがやはり優れている。加速度の再現性も高いし、なにより体感的に素直だ。原理的にも傾斜方式より勝れるが、実際の体感評価でもほぼすべての点で傾斜方式を上回る。今後、DSに高い運動再現性を持たせようとするなら、やはりこの方式を取り入れることを考えるべきだろう。

 そこで、最後に、現時点で考えられる最高性能のDSのスペックを、体感運動性能、再現加速度という点から考えてみる。
 横方向加速度も含めて、加速度の再現、発生は、持続的な加速度分程度を重力加速度に頼り、その他はすべて、並進運動による加速度で賄う。通常の乗用車では、加速度で最大のものはブレーキ時に発生するが、要するに、そのフルブレーキなどもすべてDSコックピットのフル加速で対応する。乗用車の緊急ブレーキでは、その平均減速度は1Gを超えていて、これは例えば時速100kmからなら停止距離にして40mちょっとになるが、DSコックピットを実現象とは逆に後ろ向き1G以上で40m加速し続ければ、ほぼこれを再現できることになる。ただし、このときシミュレータのシナリオ内で車両停止、すなわち車外風景画像が停止しても、その時点でコックピットは時速100km、秒速30mぐらいで走っている。このため、そこでシナリオを終了するとしても、その後更にこれを軟着陸、減速停止させるだけ距離が必要だ。それにしても、縦横に移動できる何トンかのコックピット部にこれだけの、言ってみればレーシングカー並みの運動性能を持たせるためのパワーを加えて、それを制御・支持する機構を考えることはかなり難しい。
 ということで、考えられるスペックは、傾斜機構とターンテーブル付のコックピット部、併進移動スペース50m ×50m以上、駆動パワー1000PS以上、といったイメージとなる。

● 最後に
 当研究所のDSの話に戻る。所内でも知っている人は多くないと思うが、DSが設置してあるHMI実験棟の南側の壁面、外壁は作りが弱くなっている。この壁は、DS車両の進行方向(リニアモータの方向)にあって、そこがリニアモータのストロークエンドとなっている。この壁の向こう側の隣の建物は、DS設計メンバーが管理している、言い換えれば他に断らずに改築できる運動性能実験棟があって、これを突き抜けると所内の道路に突き当たるが、この間約50mある。機械要素としてのリニアモータの特徴の一つは、モータ地上子を伸ばして行けばどこまでもストロークをとれるというところにある。
 いつの日にか、この壁を破ってこの50mを使いたいというのが、DS設計チームの一つの夢だ。

DS実験状況

※DSは、毎年、研究所の一般公開日(今年は4月19日)に、運転し公開しています。
世界最高性能のDSを、ぜひご覧になってください。



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