交通安全環境研究所 National Traffic Safety and Environment Laboratory

007 リコール技術検証官としての40ヶ月
2008年12月08日
岩崎 力(元リコール技術検証部 技術検証官)
 前身であるリコール調査員の期間を含め、当研究所の技術検証官として40ヶ月を勤めさせて頂きました。横浜市南部の自宅から片道約2時間をかけての電車通勤でしたが、それを殆ど苦痛と感じたことがない様な充実した時間を持つことが出来、「この仕事をやって来て本当に良かった」と言えることを大変幸せと感ずると共に、様々な局面で私を支えて下さった関係の方々に改めて感謝しております。長い様な短い様な40ヶ月を振返り、以下に所感の一端を述べたいと思います。
尚、メーカーが市場で実施する改善措置には、リコール、改善対策、サービスキャンペーンがあり、夫々意味合いや内容が相当異なるのですが、ここでは代表してリコールと言う表現を使うことにします。

先ず、私が技術検証官に応募したきっかけですが、以前から私は、リコール制度の運用に関しては次の様な障害があると感じていました。即ち、モータリゼーションの発達した日本では、リコール制度は「国民の安全や環境に多大に寄与する社会的重要性の極めて高い制度」であるのに、「リコール=悪」と言うイメージが一般的に存在することでリコール実施にメーカーが消極的にならざるを得ないと言うことです。このイメージ形成には、「生命・環境に重大に係る自動車の様なものは完全無欠であるべし」と言う建前論から踏み出さない報道のあり方も少なからぬ影響があると思います。
従って、制度の精神が正しく理解され運用されることが絶対的に必要であり、その実現に努力している行政に「自分の知識や経験が少しでも役立てられればこんなに嬉しいことはない」と思ったことが応募の大きな動機でした。

次に、技術検証官として何をやって来たのかと言いますと、行政が達成しようとしている(と私が思っている)以下の目標、即ち、
(イ) リコールに係る不正行為が発生しない様にする
(ロ) リコールに係る様な不具合を少なくする
に関し、その技術的側面において行政を補佐することでした。
(イ)は、一例を挙げれば、リコール実施を検討する必要がある案件に関し、先ず、「事実と異なると考えられる技術的説明がメーカーからなされた場合、その説明に対する見解や疑義内容を行政官に伝える」と言うことでした。更に、語弊をおそれずに言えば、「事実と異なる様な説明をすることは出来ないと相手に覚悟させられれば理想的」であって、その結果として、「リコールすべき案件の改善措置が漏れなく速やかに実施されることに貢献出来る」と考えてやって来ました。
(ロ)は、社会的要請としては当然の目標なのでしょうが、基本的に全てメーカーの領域であって、技術検証官の能力の及ぶところは現実には「無きに等しい」と考えていました。「リコール多発は行政の監督不行届きの結果」の様な言い方を稀ながら耳にした記憶もありますが、これも同様に現実には「謂れ無き非難」だと思います。
従って、(イ)の役割を通じて「設計上・製造上の不具合に起因する交通事故を未然防止ないしは極少化する」と言うのが、技術検証官としての現実的な最終目標であると考えてやって来た積りです。
具体的業務としては、「不具合原因の技術的調査・解析」および「不具合原因に係る検証実験の計画と推進」であり、その一環として「行政官によるメーカーヒアリングへの参画」や「交通事故現車検分への参画」もかなりの頻度で実施しました。

さて、本題である所感を述べることに入りたいと思います。
応募の動機として「自分の知識や経験が・・・・・こんなに嬉しいことはない」と前述しましたが、一方、技術検証官に採用後も、心の奥底では「長い間お世話になった古巣へ弓引くことになってしまうのかなぁ」と言う、動機とは矛盾するわだかまりが僅かですが無かったとは言えませんでした。そんな迷いを引きずったまま、本省へ新任検証官として挨拶に伺った私に対し、当時の自動車交通局長や技術安全部長が、「何としてもリコール制度を正しく機能させたい」と言う思いを熱っぽくお話しになりました。そんな「熱き思い」に触れられたことで、非常に勇気付けられて迷いも払拭され、技術検証官としての使命に自信を深めることが出来ました。その後の仕事への取組みを考えると、これは私にとって極めて大きなエピソードであったと思っています。

技術検証官として、リコールに関する印象は次の様なものでした。
A) 単純なミスによるリコールに係ると思われる不具合案件が、想像していたよりも相当多い
B) 不具合案件に関するメーカーの対応にはバラツキがあり、メーカーによっては適切さを欠くものが少なくない
A) は、前述の(ロ)にも関連することなのですが、「過去のトラブル集」や「過去のトラブルに基づくチェックリスト」などのツールを作成し、「単純ミスの再発防止」を重要課題として真剣に取組んだ経験を持つ者として、各メーカーがこの問題を軽視しているとは到底考えられませんでした。但し、現実に起っていることは「何故こんな単純なミスを繰返すのか」との印象を強く持たせるものでした。即ち、新規開発の製品や先進技術領域の製品で技術的失敗を犯すことはある程度仕方がないと言えますが、現実にリコールに係ると思われる不具合案件の少なからぬ部分は、過去に失敗した低レベルの失敗を繰返しているものだと思えました。国際化やアウトソーシングの急速な進展などで、良質な人的補給線の確保が最近は益々困難になって来ているに相違ない現実を考えると、この様な「単純ミスの再発防止」に関する技術管理領域の仕組の充実を、改めて緊急・重要課題として各メーカーに取組んで欲しいと強く思いました。
B) は、前述の(イ)にも関連することなのですが、私自身メーカー在籍時から「リコールはあくまでメーカーの自発的行為であるべき」と考えていましたので、「重大事故などの発生に繋がるおそれがあるか否か」が各社の判断に委ねられている以上、判断に差異が出ることはある程度仕方がないと認識していました。但し、実際はメーカーにより品質問題への取組み姿勢自体に差異があり、その結果として各社の判断に相当な差異が生じていると思えました。差異が大きいと言うことは、惹いては「正直者が馬鹿をみる」と言う、リコール制度の根幹を揺るがすことにもなり兼ねない様なことだと思っています。即ち、判断の差異を可能な限り少なくすることは、リコール制度を正しく機能させるための十分条件ではないが「重要な必要条件」と言えると思います。そして「この様な差異を如何にして少なくするか」と言うことに、行政に携わる人達が日夜腐心している様子を身近で知り、この面での大変な苦労が良く分った様な気がしました。

行政に携わる人達の苦労に関して若干追加して触れますと、本省の担当行政官の人達と技術検証官との情報交換メールで、担当行政官から真夜中ごろの時刻でメールが送信されて来ることはそれほど珍しいことではありませんでした。翌朝それを開いて、「こんな時間までかけて返信を書いてくれたのか!」と驚き感謝すると共に、最前線で行政に携わるこの様な人達の日常の地道な努力についても、国民のもっと多くが知り得る様な報道のあり方であって欲しいものだと強く感じたりもしました。

行政官との議論を重ねることで、リコール制度に関する理解を深めることが出来ましたので、これに関しても2件ほどお話ししたいと思います。
最初は、若干細かい話ですが、リコール構成要素についてです。即ち、リコールに関係する要素としては、➀多発性、➁致命性、➂予見性、が考えられ、夫々、
➀多発性:多件数の発生が予測される様な不具合であるか否か
➁致命性:乗員または周囲の人達に深刻な危害を及ぼす様な不具合であるか否か
➂予見性:発生を事前に察知出来ない様な不具合であるか否か
と言うことですが、私のメーカー在籍時の認識としては、➀と➁と➂の全てを構成した場合にリコールを実施する必要があると思っていました。ところが、法に詳しい行政官の話では、➀と➁に該当すれば既にリコールの要件を構成するのであり、➂は単にリコール実施の仕方に関係するだけであると言うことでした。
自分の認識との違いもあり、相当真剣に議論したのですが、関連法規等から出て来る結論は、確かに行政官の言う通りだと納得させられました。これは本当に良い勉強をさせて貰ったと思っています。但し、技術屋の正直な実感では「予見出来ない不具合か否かと言うことはやはり重要な要素である」と依然として感じていますので、この点は関連法規等の今後の検討の余地があるところかも知れないと思っています。
次は、リコール基準合理化についてです。これに関する提言をしたいと以前から強く思っていました。リコール実施基準である保安基準が現在の自動車技術と相当乖離していると思っていたからです。但し、様々な機会に行政官の人達と重ねた議論を通じて知り得た諸事情を考え合わせると、これに関しては技術検証官の役割をはるかに超える困難な事情を含むものであることが理解出来ました。
尚、然るべき方々が委員を構成している「リコール検討会」の中で、このリコール基準合理化に関しての議論も進展しているとお聞きしたのは嬉しいことです。

前述の「イメージ形成」でも触れた通り、報道のあり方の影響は計り知れないものがあります。余談になりますが、「リコール=悪」と言うイメージを脱却しリコール制度が正しく機能するために、私は、次の考え方に沿った報道のあり方になって欲しいと言う(淡い)希望を持っています。即ち、「不具合を発生させない」ことは勿論重要ですが、「人間がミスを犯すことは避けられない」と言う現実がある以上、それに目を向けることは更に重要な筈です。不具合が発生したら「如何に速くその状況から回復させるか」と言うことにもっと重点を置いた議論が出来る様な社会を、報道の力で到来させられないかと言う希望です。リコール制度の精神は正にこの点にあると思っています。

最後に、振返ってみてどれだけ出来たかは分りませんが、どんな心構えで技術検証官の業務に携わって来たかについても触れたいと思います。
先ず、「自動車の設計・製造等に豊富な知識と経験を有する専門家」として、意見が大変尊重されましたが、反面、「いい加減な意見は言えない」のも当然ですので、緊張感を持って仕事に対処して来た積りです。従って、メーカー在籍時に十分経験出来なかった領域の技術に関しても最新情報の収集を常に怠りませんでした。
また、「好むと好まざるに拘らず権力の側に立っている」と言う認識をいつも失わず、不正などに対しては厳しく臨むとしても、それ以外は、「民の立場を知る人間」として謙虚な気持でメーカーに対応し、ヒアリングの場などでもタメ口は絶対に慎むなど、言動には特に留意して来ました。
加えて、技術屋としての技術的関心を常に持つことは役割上重要だと思っていましたが、技術屋としての関心に集中する余りに、「リコール制度の適正な運用」の範疇から逸脱した領域にまで議論が拡大しない様に自らを戒め、メーカーの負担を不必要に増やすことがない様にも意を用いて来た積りです。

以上、「自分の知識や経験が少しでも役立てられればこんなに嬉しいことはない」と思って応募した技術検証官としての40ヶ月でしたが、「専門家として意見が尊重され、誇りを持って仕事が出来たことを本当に感謝している」と改めて述べることで拙文を終りに致します。

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